2014年12月1日月曜日

お袋の味と食文化の継承


 少し前にTVで合衆国の食文化について放送していました。現在の米国では家庭で料理を作るという習慣そのものがなくなり、かなり悲惨な状況のようです。家庭で料理を作らなくなると何が悲惨か、今回はそのことを考えていきたいと思います。私たちの味覚の原型はかなり小さいときに形成されるようです。私自身の経験を例に挙げますので、しばらく我慢してください。

あるとき岩手県に住む友人が私に山葡萄で醸造したワインを送ってくれました。アルコール度数が11度ほどの、あまり理想的なブドウ畑で収穫されたものではないことをうかがわせるものでした。開封して口に含んでみると、なんとも美味しいのです。懐かしい味というか、安心させるような味です。私が思い出したのは、子供のころぶどう園をやっていた実家で余ったぶどうを使って作っていたワインでした。私の実家は盆地にありましたし、ブドウ畑もそれほど水はけを気にしていませんでしたので、ワイン用のぶどうとしてはそれほど褒められたものではなかったはずです。

56歳の頃、出来上がったぶどう酒をほんのわずかだけもらって飲むのが楽しみでした。子供ですから、少量で赤くなってしまうものですが、赤くなってふらついても、その味はとてもおいしいものでした。そのぶどう酒の味を思い出したのです。しかし私と一緒に飲んだ妻はその山ぶどう酒をそれほど美味しいとは思わなかったようです。昔私だけが美味しいワインを飲むことに良心の呵責を感じて彼女にいわゆる5大シャトーのワインなど飲ませたときに彼女があげていた感嘆の声から判断して、ワインの味が分からないのではない。

つまり私の味覚を形成する過程に幼少時の自家製ワインがあったのだということです。かくのごとく味覚の形成に子供のころに食べたもの、飲んだものの影響はとても大きい。その時期にジャンクフードしか食べなかったら?味覚を分析するために、味の要素を分解して行ったとして、甘み、塩辛さ、苦さ、様々なスパイスの刺激、それだけでしょうか。もしかするとそれら少数の要素が、少しずつ配合比を変えながら異なる味覚を形成しているのかもしれません。

しかし子供のころに強い甘み、強い塩辛さ、強い苦味(これは子供にとっては苦手なので吐き出してしまうことが多い)などしか味わうことがなかったら、微妙な味わいの料理など、きっと美味しいと思わなくなってしまうでしょう。どんな料理にでもぎょっとするような分量の砂糖か、塩をかけて食べる、健康にも悪そうですし、味覚を楽しむということが出来ません。実際に米国の人口の2/3が肥満しているそうです。ジャンクフードを腹いっぱい詰め込む、それだけではなく、極端に濃い味付けの料理で糖分と塩分を過剰に摂取していることも大問題だと思うのです。

そういえば、カナダ留学中に冬休みに家具などが装備されたコンドミニアムに滞在してスキーを楽しんだことがありますが、そのお宿に備え付けの包丁がひどかった。やや厚手のブリキを包丁の形に打ち抜き、グリップをつけたというもので、キャベツのような素材でも、どう足掻いても切ることが出来ませんでした。そのときには、その宿の備品について腹を立てたのですが、カナダでは誰も料理しないので、物を切ることの出来る包丁などを装備して怪我でもされたらかなわないと思っていたのかもしれません。

今、日本にも米国流の生活様式が流入してきています。ある面では大いに歓迎すべきなのですが、料理についてはどうしても賛同できません。お子さんに『お袋の味』をちゃんと教え込み、『親父の味』も教え込み、その味覚を今後とも継承して行こうではありませんか。極端に甘いのと極端に辛いもの、極端にスパイシーなものしか区別できない人生なんて、あまりにもさびしいと思うのです。


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