2014年12月25日木曜日

私の余暇

 これまでずっと医療に関係したことばかり取り上げてきましたので、ここではちょっとくだけたことを綴ってみます。私は昔から写真に凝っていました。写真の中でも特に天体写真にはかなり熱中しています。勿論今も暇があると夜空を眺め、撮影できそうだったら赤道儀と天体写真に特化したカメラを持ち出します。今は様々な理由があって、かなり広範囲に分布する目に見えないガスの塊を撮影しています。

 水素ガスは原子核が陽子だけ、そしてその周囲を電子一個が回っていると言う構造です。回っていると言うのは正確ではありません。電子は原子核の周りを粒上の物体として回っている訳ではないのですが、ここでは便宜上その様な不正確な表現で済ませておきます。外部から例えばγ線がやって来て、水素原子に当たるとどうなるか、ガンマ線が当たって、方角を変えて飛んでいくときに波長が長くなります。衝突前後の波長の差額の分だけ、水素原子はエネルギー状態が高くなる。そのエネルギー状態は電子軌道の高さとなります。

 この高さと言うのも変な話ですが、原子核からの距離(これも変ですが)みたいなもので、エネルギー順位が高くなるほど電子軌道は原子核から遠くなります。その軌道が3番目にあるときに、2番目まで落ちるとそのエネルギーの差額分だけ、水素原子から光が飛び出します。その光の波長をHαと天文仲間は呼んでいます。赤外線にとても近い、見えにくい赤色の光で、一般のデジカメでは画像のにじみを抑えるために、この光をカットしてしまっています。私の天体写真に特化したカメラはこの赤外カットフィルタをHα透過性のいいものに換えた奴です。

 我々の住む銀河系を飛び出して、数千万光年まで観測の対象にすると、たくさんの銀河が写せるのですが、対象がとても小さいので高性能な望遠鏡が必要になることと、天体を追尾する装置がとてもシビアな軸合わせを要求するので、私のようにいい加減な性格の人間ではちゃんと撮影できる歩留まりが悪くなります。そのために、銀河系内の広がりのある天体を撮影していたのですが、やはり物足りないのです。

 そこで、新温泉町にお願いして、町有地をお借りして、天体写真を撮影するための小屋を作ることにしました。星を追尾する装置(赤道儀といいます)をすえつけて、移動式の屋根で覆って風雨を避け、撮影するときだけ屋根をどかす、そうすれば、赤道儀のセッティングはめったに必要なくなりますので、撮影の歩留まりがぐっと向上する。そんなことをかれこれ20年も前から考え始めました。そしてタバコを吸ったつもりになって500円玉貯金をし、自分で言うのもなんですが、涙ぐましい努力の結果、何とか観測小屋建設の資金のめどが付きました。

 今年は私の写真を外来の受付に展示させて頂いています。天体写真だけではなく、様々な写真を展示しましたが、来年もまたこうした展示が出来たらと願っています。一方、写真や絵画など、外来の受付スペースに展示したいとお考えの方はこのブログに対してご一報ください。ご希望に添えるよう検討します。来年はもっと質の向上した天体写真をお見せできることを念じつつ、これを今年最後のブログ記事にしたいと思います。

2014年12月18日木曜日

ヒヤリハットと医療事故

 誰が考え付いたのか、ヒヤリハットという言葉があります。仕事をしているときにヒヤリとしたけど難を逃れたとか、危うく一大事になりかけたことにハット気が付いたと言うのを『ヒヤリハット』と言う言葉で表したもので、危機管理をする上で、とてもポピュラーになった言葉です。話によると、100件のヒヤリハットに対して、重大事故が1件か2件か起こるらしいのです。だから日常業務の中でヒヤリハットそのものを減らせば重大事故は減るはずだ、そういう思いから各事業所の内部でヒヤリハット事象を取り上げて、その原因を分析すると言うことをやっているのでしょう。

  バンクーバーで留学生活を送っているときに聞いた話ですが、人工心肺装置に組み込まれている温度計が壊れて、患者に45℃に温められた血液を送ってしまい、その患者が死亡したと言う事故があったそうです。回路の暖かさを手で触って確認すると言うことをやっていたら、防げた事故だったと思います。日本でも人工心肺に絡んだトラブルはいくつもあります。拍動流ポンプを使ったもので、回路に高圧の空気が送り込まれたと言うのを聞いたことがあります。

  回路を供給する際に当然滅菌しますが、その滅菌に使う毒性の強いガスが回路内に残っていて、そのために重大事故になったというのも聞いたことがあります。そのほか、院内の酸素と炭酸ガスの配管を大元のところで逆につないでしまったためにとんでもない事故が起こったと言うこともありました。手術室や病棟では酸素吸入に酸素が必要ですし、手術をしている場所に炭酸ガスが必要なこともあります。

 毎日壁の配管に医療機器を接続することになりますので、そこでトラブルが起きないように、ピン・インデックスと言って酸素の配管と窒素、圧縮空気、炭酸ガスなどで接続プラグが異なるようにしています。そうした医療ガスを使用する最終段階でのミスは起こらなくなっているのですが、おおもとでつなぎ間違えていると、実際に臨床的な不都合が起こらない限り現場の人間は気が付きません。

 以上は重大事故の例でした。ヒヤリハットの例としては薬剤を入れる仕切り棚の中でアドレナリンを入れるべき場所にそれと外見が良く似ているアトロピンをいれていた、などというのが良くありました。最近はアンプルの外見がずいぶん異なるようになったので、聞かなくなりましたが。微量注入ポンプが壊れて、内容がすごい速さで注入されたと言うのもありました。その内容がアドレナリンだったりしたらとんでもないことになっていたことでしょう。

  入院中の患者さんに関係したものでは、ベッドから落っこちたと言うのがもっとも良く聞くものです。ベッドの高さを低くすると、転落時のダメージは減らすことが出来ますが、介護がとても大変になってきます。スタッフの腰痛を訴える比率が倍増、しばしば労災で治療を受ける必要があるとなると、これまた大変で、人手不足に拍車がかかります。ベッドや患者さんの体に各種センサーをつけ、怪しげな動きをしていたらすぐ駆けつけるようにしていても、わずかな隙を潜り抜けて転落する人がでてきます。

 病院は、ある意味ご家族を介護から開放すると言う意味もあるのですが、まるでこちらに転落に関する真剣勝負を挑んでいるような患者さんに対して有効な手を打てないのも事実です。そういったときにご家族に付き添いをお願いすることがあるかもしれません。

2014年12月12日金曜日

海外の学会・予想できない質問

 7年ほど前のことですが、プラハでの国際学会の折、演題を提出して採択されたので、行っ
てきました。その学会は輸血の代替療法に関するもので、私が当時輸血量を何とか減らす工夫
をして、その記事をホームページにUPしていました。その学会から、私のホームページの趣旨
と学会の趣旨がかなり近いので、ぜひ一度来いと言うお誘いがあった、それがきっかけです。
プラハでは、『エホバの証人』と言う、病院関係者の間では少し有名な宗教法人に対する私た
ちの立ち位置について報告を行うことになっていました。
 
 私のスライド原稿に、日本に『エホバの証人』の信者が少数派であること、仏教徒が多数派
であること、しばらく前まで本邦の医療現場はパターナリズムが主流で、つまり『黙って俺を
信じて付いて来い』的な態度で患者さんに接していたこと、したがって医療行為について患者
さんが同意した上で云々と言う新たな流れは医療従事者、特に医師にとってとても居心地の悪
いものだったということなど明記しました。そういった日本での現状を説明し、輸血の機会を
減らすためにどうしたかという話に持っていくと言う腹積もりでした。
 
 ところが、会場から『仏教の基本的な考え方、哲学はどういったものか』と言う質問が出て、
仏教についての解説みたいなものを要求されました。ヨーロッパの人にとってそちらのほうが
関心事だなどと想像してさえいなかったので、さて困った、私はお経など読んだことがありま
せん。昔子供のころ、祖父の膝に座って彼から聞いた話は、後で思い起こすと多分神道にまつ
わるもので、仏教と関連があるとは思えません。しかし、そこで『I have no idea.』などと
いって逃げるわけには行きません。欧米では宗教に関して、我々日本人からは想像できないほ
どシビアな態度をとるのです。
 
 はっきり無神論と主張するにはそれなりの自分の哲学を開陳する必要がありますし、勿論私
にはそんなバックグラウンドはありません。あまり無茶苦茶な返事をすると、次回からの学会
に演題を採択してもらえないなんてこともあり得ます(それまで3回採択されていました)の
で、ここは慎重に対処する必要がある、そう考えました。複数の人が会場でマイクを持って交
互に、仏教とは何か、その本質はどうで、悟りとはどういったものか、などと妙なことをまく
し立てています。しかしそのおかげでやや時間を稼げました。
 
 その時に昔読んだ本を思い出しましたので、それに沿って考えていくことにしたのです。
『あなたたちは、例えば人とは何かとの問いかけにいろんな答えを持っているだろう。直立歩
行、言語、知能、などなど。しかしそうした答えを持ち出す際に、すでに頭の中にヒトについ
ての言語以前の観念を持っているから、その様な答えを出すことが出来るのだ。その言語以前
の観念を直接把握しようとするのが、東洋哲学の基本的なスタンスで、その把握を悟りと言う
』。
 
 すごいハッタリで、今考えても冷や汗ものなのですが、現地では『東洋の神秘』みたいな受
け取られ方をしました。発表の後、一つのテーブルを囲んで仏教や東洋哲学などについて議論
を重ねました。そして翌年、また学会で会おうと誓い合って分かれたのでした。残念ながら、
その翌年の学会に私は都合で出席できませんでした。提出した演題の演者を後輩に振って代わ
りに行ってもらったのですが、そのときの顛末については詳細を聞いていません。
 
 いろんな雑学をあちこちで仕入れておくと、妙なところで役に立つものです。まさか昔読ん
だ広松渉の著作がこんなところで役立つとは思いもよりませんでした。

2014年12月4日木曜日

ジャンク・フードの弊害

 前回に引き続き、食について述べておきます。食事は人が生きて行くうえでとても大事なものです。とはいっても、私の言う文脈でとても大事になったのはごく最近のことで、ヒトがヒトになる途上にあっては別の意味でとても大事なものでした。今は栄養のバランスの取れたものを美味しく調理して云々と言う文脈で大事なのですが、昔は生き延びるためにエネルギー源を確保すると言う意味でとても大切なことでした。

 少なくとも今の日本では各家庭に電気釜、なべ、フライパンの類があるでしょうし、勿論包丁やまな板もあるに違いないはずです。たいていの家庭で、ご飯を炊き、味噌汁を作り、魚を焼き、漬物を刻んで食卓に出しますね。野菜サラダ、スープ、肉料理などという家庭もあるかもしれません。一方、ハンバーガーに代表される外食産業が隆盛を極め、働くヒトの労働賃金の分を差し引いても、家庭で作る料理にそれほど負けないコストで外食産業の食事を食べることが出来るようになっています。

 食材を大量に安く仕入れ、あとは暖めるだけと言う段階まで工場で加工し、それを各店舗に配送すると言う形をとることで、費用を安くすることが出来るようです。もしかすると、その様なファスト・フードだけで食事を済ませていると言う家庭がわが国にも出現し始めているかもしれません。そうなると、その家庭で育った子供は『お袋の味』なるものを知る機会がなくなり、味覚上の欠落は当然次の世代に受け継がれるようになってしまいます。先の記事で述べた米国型の食生活に近づいていくわけです。

 そのファスト・フードですが、炭水化物と油を大量に含み、とてもカロリーが高いのが一般的です。そういった食べ物ばかり食べているととても困った事態に陥ってしまう。そんな研究が報告されています。その研究内容をコピーします。

オーストラリア・ニューサウスウェールズ大学の研究チームがマウスを使って行った結果で、研究者らは「頻繁に食べると、ジャンクフードがやめられなくなり、通常の食事を避けるようになるという”負の連鎖”に陥る」と注意を喚起している。

実験では、特定の音を聞くと砂糖水が与えられ、また別の音でチェリーやブドウが与えられることをマウスに学習させた。そしてヘルシーな餌で育てられたマウスは、チェリーやブドウの音に反応し、それらを好んで食べた。しかしそのヘルシー嗜好だったマウスに2週間ジャンクフードだけを与え、その後に同様の実験をしたところ、行動は前回とまったく逆だった。つまり、チェリーやブドウの音に反応しなくなっていたという。しかもショッキングなことに、ジャンクフード食をやめてヘルシー食に戻した後もしばらくは、砂糖水の方を好む傾向が続いたという。

つまり、ジャンクフードを食べると食の好みが変わり、ますますジャンクフードを求めるようになるのだという。研究を主導したマーガレット・モリス教授は「脳で起こるこうした反応は動物に共通するもので、今回の実験結果は人間にもあてはまる」と話す。ジャンクフードを食べれば食べるほど、ヘルシーな食事に見向きもしなくなる。現代が抱えている肥満増加問題の原因の一つといえそうだ。

 これに似た研究はカナダでもなされており、利益と効率を追い求めた結果としての外食産業が健康にとって重大な脅威になっているということを示しています。『お袋の味』と言うと家庭内での役割を固定化させるもので、あまりそういった表現は好ましくないと思うのですが、そういった味覚の根幹を形作るものが出来ないと、私たちはどんどんファスト・フード、ジャンク・フードへと押し流されていき、生活習慣病の底なし沼にはまってしまいます。

 女性だけが料理を担当すると、人生の晩年に奥様に先立たれたご主人はかなり悲惨なことになります。『世の男性たちよ、立ち上がって包丁を握れ』と言っておきます。家にいるときにはTVの前に居座ってビールを飲み、全く動かないと言うのでは健康上非常に具合が悪い。そうすることでほぼ確実に奥方より先に死ねる、と言う意味では望ましいのかもしれませんが。
 

 

2014年12月1日月曜日

お袋の味と食文化の継承


 少し前にTVで合衆国の食文化について放送していました。現在の米国では家庭で料理を作るという習慣そのものがなくなり、かなり悲惨な状況のようです。家庭で料理を作らなくなると何が悲惨か、今回はそのことを考えていきたいと思います。私たちの味覚の原型はかなり小さいときに形成されるようです。私自身の経験を例に挙げますので、しばらく我慢してください。

あるとき岩手県に住む友人が私に山葡萄で醸造したワインを送ってくれました。アルコール度数が11度ほどの、あまり理想的なブドウ畑で収穫されたものではないことをうかがわせるものでした。開封して口に含んでみると、なんとも美味しいのです。懐かしい味というか、安心させるような味です。私が思い出したのは、子供のころぶどう園をやっていた実家で余ったぶどうを使って作っていたワインでした。私の実家は盆地にありましたし、ブドウ畑もそれほど水はけを気にしていませんでしたので、ワイン用のぶどうとしてはそれほど褒められたものではなかったはずです。

56歳の頃、出来上がったぶどう酒をほんのわずかだけもらって飲むのが楽しみでした。子供ですから、少量で赤くなってしまうものですが、赤くなってふらついても、その味はとてもおいしいものでした。そのぶどう酒の味を思い出したのです。しかし私と一緒に飲んだ妻はその山ぶどう酒をそれほど美味しいとは思わなかったようです。昔私だけが美味しいワインを飲むことに良心の呵責を感じて彼女にいわゆる5大シャトーのワインなど飲ませたときに彼女があげていた感嘆の声から判断して、ワインの味が分からないのではない。

つまり私の味覚を形成する過程に幼少時の自家製ワインがあったのだということです。かくのごとく味覚の形成に子供のころに食べたもの、飲んだものの影響はとても大きい。その時期にジャンクフードしか食べなかったら?味覚を分析するために、味の要素を分解して行ったとして、甘み、塩辛さ、苦さ、様々なスパイスの刺激、それだけでしょうか。もしかするとそれら少数の要素が、少しずつ配合比を変えながら異なる味覚を形成しているのかもしれません。

しかし子供のころに強い甘み、強い塩辛さ、強い苦味(これは子供にとっては苦手なので吐き出してしまうことが多い)などしか味わうことがなかったら、微妙な味わいの料理など、きっと美味しいと思わなくなってしまうでしょう。どんな料理にでもぎょっとするような分量の砂糖か、塩をかけて食べる、健康にも悪そうですし、味覚を楽しむということが出来ません。実際に米国の人口の2/3が肥満しているそうです。ジャンクフードを腹いっぱい詰め込む、それだけではなく、極端に濃い味付けの料理で糖分と塩分を過剰に摂取していることも大問題だと思うのです。

そういえば、カナダ留学中に冬休みに家具などが装備されたコンドミニアムに滞在してスキーを楽しんだことがありますが、そのお宿に備え付けの包丁がひどかった。やや厚手のブリキを包丁の形に打ち抜き、グリップをつけたというもので、キャベツのような素材でも、どう足掻いても切ることが出来ませんでした。そのときには、その宿の備品について腹を立てたのですが、カナダでは誰も料理しないので、物を切ることの出来る包丁などを装備して怪我でもされたらかなわないと思っていたのかもしれません。

今、日本にも米国流の生活様式が流入してきています。ある面では大いに歓迎すべきなのですが、料理についてはどうしても賛同できません。お子さんに『お袋の味』をちゃんと教え込み、『親父の味』も教え込み、その味覚を今後とも継承して行こうではありませんか。極端に甘いのと極端に辛いもの、極端にスパイシーなものしか区別できない人生なんて、あまりにもさびしいと思うのです。


2014年11月21日金曜日

心房細動と脳梗塞予防

 人間、年をとるとかなりの確率で心房細動を引き起こします。この心房細動はそれ自体が厄介な病気です。心房が正常に働いていると、心室の拡張末期に心房収縮の一蹴りで心室に送られる血液が20%ほど増えます。この言い方は誤解を招くかもしれません。心房収縮が無いと、心室に送られる血液が20%減ると言ったほうが良いかもしれません。いずれにしても、心房の正常な収縮と弛緩がリズミカルに行われないと、心臓の機能が低下します。

  そして、心房細動を起こす人はそれ以前に何らかの心臓関連の問題を抱えているので、先に述べた20%の低下が重大な意味を持つのです。大まかに言って、一回の収縮で心臓から送られる血液の量はその人の体重の0.1%ほどです。つまり体重60kgの人の1回拍出量は60mlほどです。そして、毎分70回脈を打っているとすれば、60x70=4200mlの血液が心臓から出て行くことになります。これは勿論安静時の話です。

  余談ですが、合衆国では銃撃戦のとき、FBIの捜査官は左手を握り締めてそのこぶしを時分の心臓の正面に持っていくと言う話を聞いたことがあります。敵の銃弾がこぶしに当たると心臓まで達しないことが多く、致命傷を避けることができ、こぶしの大きさが心臓の大きさに近いと言うのがその理由です。実際の銃撃戦を見たわけではないので、事の真偽は明らかでないのですが、銃弾の飛び交う世界が日常と言う国ではずいぶん説得力のある話です。

 話を元に戻すと、心房細動などで、心臓から送られる血液が減ると、そういった人はたいてい心不全になります。そして心房細動からかなり短期間のうちに死亡してしまう人がかなりの割合になるそうです。そしてもし初期の死亡リスクを乗り越えたとしても、次のリスクが待っています。正常に機能しなくなった心房に血栓が形成されるのです。左心房に血栓が形成されると、それが遊離して脳に飛んだ場合に、かなり大規模な脳梗塞を起こす恐れがあります。

 治療法としては、古くからおなじみのワーファリンと言うお薬があるのですが、これは血を固まらせにくくするお薬です。ですから当然、脳内の血管に一部小さな裂け目などが生じたときにそこから通常だとちろちろ出血してそれがすぐ止まるのに、ワーファリンを飲んでいる人では止まらないということがよく起こります。つまりワーファリンを飲むと脳梗塞のリスクは減りますが、脳出血のリスクが増えるのです。

 勿論、梗塞のリスク低下分は出血のリスク上昇分より遥かに大きいので、損得勘定からするとワーファリンを飲んだほうがいい。しかし我々医師も普通の感情を持った人間です。外来に心房細動を起こした人がやってきた、何も治療されていない、そういったときにワーファリンを開始したほうがいいと分かっていても、自分の指示でワーファリンを開始したときに出血が起こったらどうしよう、そう考えてしまいます。

 勿論冷静に考えれば、ワーファリンを開始すべきだし、自分の身内に対してだったら開始すると思います。しかし、特に年齢がかなり高くなると、出血のリスクも高くなるので、自分の処方によって脳出血で帰らぬ人になってしまう可能性が具体的な恐れとなってしまうのです。最近はワーファリンより遥かに安全な抗凝固薬が利用可能になりましたが、それでも高齢者に使うにはためらわれるのです。勿論使ったほうが使わないよりも遥かにメリットは大きいのですが。

 医療行為というのは、どんなものでも必ずリスクが付きまといます。そのリスクは自分が懸命に診ている患者さんが負う。私たちはそのリスクを負わせたくない。だから難しいのです。

2014年11月14日金曜日

コーヒーを飲む人は顔のしみが少ない


 医療従事者を対象としたSNSやWebsiteのようなものがいくつかあり、その中で時々医療と関係ない方にもたぶんとても興味深いだろうという情報があります。今回ご紹介するのはそのようなものの一つで紹介されていた、お年を召してくると気になる顔のシミについてです。ここに出てくるポリフェノールとは、コーヒーや赤ワインに含まれているもので、抗酸化作用を持つ物質の一つです。酸化とは一言でいえば『錆』の事、ポリフェノールは体内の錆を防ぐ大切な物質です。その情報源の中身をご紹介しましょう。

 日本人中年女性131名を対象とした検討の結果、コーヒーおよびポリフェノール摂取量が多い人ほど顔のシミが少ないことが明らかにされた。ネスレ日本の福島洋一氏らが報告したもので、「コーヒーは、日焼けによる皮膚の老化の予防に役立ち、クロロゲン酸を含むポリフェノールにはシミにみられる色素過剰を減じる可能性があると思われる」とまとめている。International Journal of Dermatology誌オンライン版2014年7月11日号の掲載報告。



 研究グループは、健康な日本人中年女性のコーヒーおよびポリフェノール摂取の皮膚への影響を調べるため、食事、環境要因、皮膚の状態について断面調査を行った。各被験者の頬で、皮膚の含水量、経表皮水分蒸散量および弾力性を非侵襲的方法(=体に危害を加えない方法)で測定し、デジタル写真を用いてしわとシミの評価を行った。



・試験には、健康な非喫煙で、日常生活における日光への曝露は中程度の30~60歳女性131名が参加した。アンケートにより食事、飲料摂取、生活状況を調べた。

・コーヒーと総ポリフェノール(全ソースおよびコーヒーから)の摂取量は、シミの評価スコアの低下傾向と統計的に有意な相関を示した

・コーヒーまたはクロロゲン酸からの総ポリフェノール摂取量が高値である被験者(三分位最高位群)は、紫外線によるシミの評価スコアが最も低かった

・以上のように日本人中年女性において、コーヒーおよびポリフェノール摂取は顔のシミと関連していた。



 さて、以上ご紹介したように、コーヒーは美容に良いと考えていいでしょう。しかし過ぎたるは及ばざるがごとし。バルザックと言う小説家は毎日50 杯以上の濃いコーヒーを飲む習慣を持っていましたが、51歳で亡くなりました。朝起きるとコーヒーを牛飲し、夜遅く執筆、そして疲れを押して社交界に出入りし、馬食したということです。



 晩年(と言うほど高齢にはなりませんでしたが)、その大喰らいのために糖尿病になり、失明、そして腹膜炎で死亡しました。いくらコーヒーがお肌に良いと言っても、そんな生活をまねてはいけません。虎は死して皮を残す。バルザックは死して小説を残しましたが、膨大な借金も残しました。やはり真似てはいけません。



 余分なことかもしれませんが、付け加えておきます。この研究を行った人がネスレ・ジャパンの社員だとの事、ネスレ社は本邦において《違いが分る男の》インスタント・コーヒーを販売しています。その会社の社員がコーヒーは体にいいよという研究論文を発表したのですから、その結果について多少のバイアスがかかっていたと見るほうが妥当かもしれません。理論的に考えて妥当性のある結果ですので、疑ってかかるのは若干神経症的な態度かもしれませんが、研究を公明正大にしようと思うと、そんなところも引っかかってくるのです。