2014年9月25日木曜日

貧血と地域の暮らし


 こどもが朝礼などで炎天下に立たされてひっくり返ることがあります。「貧血で○○君が倒れちゃった」などといいますが、これは医学的には貧血ではありません。立ちくらみ、医学的には起立性低血圧と言い、急激な体位の変換に自律神経がついて行けずに、血液が頭に届きにくくなったり、長時間の立位に対して下半身に集まる血液をうまく心臓に返してやることが出来なくなることが原因です。成長とともに自律神経はちゃんとしてきますので、こうした立ちくらみは減っていくはずです。

 先進国の中で日本は鉄欠乏性貧血が多いといわれています。いろいろ思い至る点はあるのですが、今日は別の話です。昔アフリカのある内陸部の部族の住民が全員鉄欠乏性貧血で、それもかなり重症だったそうです。キリスト教の布教活動は強烈だから、そういう奥地にも神父さんが入り込んでいく。そして貧血の原因が鉄分の不足だと気付いた訳です。宣教師さんたちはとても親切で、彼らの貧血を直してやりたいと言う善意で、鉄なべによる調理を広めました。

 数年後か数十年後か知りませんが、その部族が全滅したと言う記録が残っているそうです。なぜ全滅したか?鉄のせいなのです。鉄分は赤血球を作る際に必要欠くべからざるものですが体内で病原体が繁殖するにも欠くべからざるもので、キリスト教によって導入された鉄鍋調理のために、血清鉄が上昇し、マラリアが体を攻撃するようになった。それまでのひどい鉄欠乏性貧血の状態では体内に入り込んだマラリア病原体が増殖できなかったのに、キリスト者の『善意』のために、その部族はマラリアで全滅してしまったと言うことのようです。

 この話は井村裕夫著:『人はなぜ病気になるのか―進化医学の視点』と言う本に紹介されていました。ずいぶん昔に読んだものなので、内容の大部分は忘れてしまったのですが、鉄欠乏性貧血の話はとても印象に残っていたので覚えています。各地域の暮らし向きはその地域の食生活などと密接に結びついていて、全国基準となった検査で異常と思われるものがその地域では問題ないものである可能性が隠されているかもしれないと思うのです。

 それを無理に正常化するために何らかの薬物の投与や、食事内容の改変を『指導』することで、もしかすると先に述べた例のような事態を引き起こさないとも限りません。いろんな『正常値』があり、その地域の生活の全てを知らないと、本当の意味での地域密着の医療は出来ないものだ、そんなことを考えた一日でした(それってものすごく暇なんじゃ?と言う突っ込みはご勘弁)。


2014年9月18日木曜日

マダニの話


 マダニというたちの悪い病原性医動物が草原、森林などに生息しています。ウィキペディアというネット上の百科事典には次のような記載があります。『マダニはハーラー器官と呼ばれる感覚器を持ち、これらによって哺乳類から発せられる二酸化炭素の匂いや体温、体臭、物理的振動などに反応して、草の上などから生物の上に飛び降り吸血行為を行う。その吸血行為によって、体は大きく膨れあがる』

 このマダニに咬まれた症例を私はこれまでに3回診ました。ひとつは噛み付いて吸血し、体が赤黒く膨れ上がった状態のもので、細いピンセットを頭の近くに差込み、皮膚から慎重に吸血器官を引っこ抜いて事なきを得ました。残りの二つはマダニに咬まれた傷跡が化膿して直径5cmほどの化膿した組織の塊を見たのですが、話を詳細に聞くとどうやらマダニ咬症だったようです。

 このマダニという奴は日本紅斑熱、Q熱、ライム病、回帰熱、ダニ媒介性脳炎、重症熱性血小板減少症候群などたちの悪い疾患を引き起こす可能性があります。もし体の一部に小豆くらいの大きさの赤黒い丸い塊が出来ていたら、自分で取ろうとせずに医療機関を受診してください。癪に障るので自分で一矢報いたいとの向きは、マダニの周辺に空気が残らないように完全に覆うようにメンタムを厚く塗り、小一時間放置。マダニが窒息したらメンタムごと剥がれ落ちますが、このとき残っていたら引き千切らずに受診すること。

 昨年、豊岡病院でもマダニ咬症のために死亡した例が報告されています。マダニ咬症はとても怖い病気なので、たかがダニだ、などと侮ることなく、直ちに受診してください。マダニは耳たぶや陰部に好んでくっつきます。野山を歩くときには完全に体を衣服で覆って、マダニが入ってこないようにするなどの注意が必要です。ソケイ部に食いついたマダニを見つけたら、陰部を見せるのは恥ずかしいなどと躊躇わないで、直ちに受診する事。命に関ることだからです。


2014年9月4日木曜日

ドラッグストアでの血液検査



ドラッグストアやスーパーで手軽に血液検査ができると言う事になりそうです。もしそのお店のスタッフなり、臨時職員などが採血すると医師法に引っかかるので、自分で指の先を切って少し出血させて、それを測定に使うと言う事らしいのです。この新制度には問題がたくさんあります。もともとこの制度を導入するのは膨らみ続ける医療費を抑制するためとのことですが、かえって医療費を膨らませることになるかもしれません。私がこの制度に危惧感を抱く理由を挙げていきます。

1. 測定精度の問題。皮膚を小さく傷つけて出血させ、それを集めて分析に回すとのことですが、皮膚の表面に付着している汗などの影響は、採集する血液が少ないほど受けやすくなる。採血は静脈からと言うのが正確さの上では大事です。しかも、採血部位によって検査結果が異なります。たとえば動脈採血と静脈採血で結果が異なります。血液検査はそれほど微妙なので、指の先からなどと言う、今まであまりやっていない方法だと、基準となるデータがないので、正常値や異常値の境界があいまいになります。

2. 一般的に言うと、検査結果を見て自分の体の状態を判断することはできないだろうと思います。当然です。ご自身の専門分野ではないのですから。そして検査結果を伝える、お店のスタッフなどが、したり顔で「高脂血症ですね」とか「悪玉コレステロールが高いですね」などと助言をする場面が目に浮かんでしまいます。一知半解と言うか生兵法と言うか、とても危ない事です。

 例えば悪玉コレステロール(以後LDLと書きます)が高い値を示したとき、自動的にその薬であるスタチン系の薬物を処方する訳には行きません。LDLが高くなる原因としてはそれがたくさん作られる場合と、分解されにくくなる場合に分かれますが、後者の場合にスタチンを処方してもさして効かないからです。日常診療の中で、かかりつけのお医者さんが毎月一度顔を見ながら(時に諸検査をして)判断することです。漫然とスタチンを投与しながら、どんどん病状が悪化するのを放置、と言う可能性があります。

3. 血糖値が高いと言って、血糖降下剤を勝手にお店で処方したとしましょう。どの程度の高血糖に対して(肝機能、腎機能などの精査が必要)どの薬を処方するかと言うのは、とても難しい。全く効かないのも困るけど、低血糖発作のせいで植物状態になるのも困ります。そうした危険な薬剤を売りつける訳ではないとしても、妙なサプリを売りつけて売り上げ倍増、ほくほく顔と言うのはお店だけです。

 TVの宣伝でも注意してみていてください。どのサプリも特定の病気に有効、とは言いません。TV視聴者が勝手に有効であるように勘違いさせる言い回しと動画を組み合わせているのです。たいてい痛くなるのは腰とか膝とか肩です。その辺をTV画面上で軽妙な音楽に合わせて動かしながら、明るく運動している場面をかぶせる。そして○○で健康に!などと言って、○○がその整形外科領域の疾患に有効であるように見せているのです。

 しかし○○に有効、と言うためにはまず動物実験をして、安全性を確認し、次にボランティアを募って人間で安全性を確認し、それから大規模な臨床実験を経る必要があります。 サプリはそのすべての行程をすっ飛ばしていますので、「有効」と言ってはいけません。皆さん、頭髪が薄くなってきたときに髪の毛を食べれば自分の頭が少し濃くなってくると思いますか?関節の痛みに対して、関節包内の成分を服用するのは、髪の毛のたとえと似ています。

4. 指先に小さな傷をつけて出血させる、そのことが「血管迷走神経反射」を引き起こすこともあります。これは最悪の場合、心臓の拡張状態での停止を引き起こすので、非常に重大な副作用と言っていいでしょう。気分が悪くなったと言って備え付けのソファに横になって、30分ほどしてお店のスタッフが声をかけたら冷たくなっていた…そんなことが起こる可能性も否定できません。この血管迷走神経反射には特効薬がありますが、それは注射薬なので、医師以外が行うと医師法違反になります。

5. 感染の問題もあります。消毒をきちんとしていないと感染する可能性があり、最近かなり一般的になってきたMRSAなどによるものだと、とても厄介です。特にお年寄りの方などは抵抗力が落ちていますので、MRSAによる感染症が致命傷と言う事もあるかもしれません。

 以上のようにドラッグストアやスーパーでの血液検査はかなり疑問の残るものです。なぜ、このような方法を導入するのか。病院の窓口で支払う際には保険が適応されますので、実際にかかった費用の3割、高齢の方だと1割(もうじき2割になるかも)です。残りは国庫から、政府はここを節約したい。ドラッグストアで検査する場合には保険適応になりませんから、国庫の負担は減ります。そしてサプリを購入して、プラセボ効果である程度病気がよくなると、これも医療費の抑制になる、そう考えたようです。

 絶対にスーパーで採血して血液検査してはいけない、とは言いません。しかし誰も責任をとらない大きな危険が口を開けていることを忘れないでください。もちろん、どうにもならない段階まで病が進んで、病院でベッドに縛り付けになってから臍を咬むというのは処世訓としてもあまり感心しません。自分の命、自分の健康です。妙な宣伝に乗っかったり、妙な思い込みで行動しないでよく考えてから結論を出しましょう。

2014年8月28日木曜日

原付と自動車の接触事故



 外来で時々交通事故の負傷者を診る事があります。特に原動機月自転車と自動車の事故はどちらが悪いかということとは関係なく、二輪車に乗車していた人がひどい怪我をしていることが多い。体がむき出して、転倒したり接触した場合に、それが即座に体の一部の外傷となるからです。そして交通事故に限らず、体に外力が加わって負傷する際には、その負傷にいたった時点で太古からの防衛本能といいましょうか、体が自動的に戦闘モードに入ってしまうのです。

 ここで言う戦闘モードとは相手をぶん殴りたくなるということではありません。血液中にアドレナリン、ノルアドレナリンといったホルモンが分泌され、体の各臓器がそのホルモンたちの働きで、最大限の働きをするようになっていくのです。心臓はドキドキと早い脈を打つようになります。手に汗がにじむのは棍棒を握ったときに滑り難いようにです。人間には体毛が犬や猫ほど豊富にありませんので目立ちませんが、皮膚表面は鳥肌が立つのが分かるようになります。

 鳥肌が立つのは、体毛を起立させるための小さな筋肉の働きですが、これは毛が立つことによって外形が大きく見えるようになる、そのためのメカニズムです。猫が犬などを見たときに背中を丸くして両足の間隔を狭め、正面から見たときに背丈が高くなったように見える、そして総毛立つ事で横幅もサイズアップして見えるようになります。敵に対して何らかの威嚇作用があることを期待してのことです。そして、これはとても重要なことですが、戦闘モードになると、痛みに対して鈍感になります。

 負傷して来院したときにはそれほど痛く無いので『たいした事無い』とたかをくくっていたのに翌日になったらとても腰が痛くなったというのも良く見ることです。だから病院では一見大丈夫そうに見えてもあちこちの検査をします。頭はとても大事ですから、脳挫傷とか脳内出血の兆候が無いかどうか、CT検査もします。これは過剰な検査ではなく、後になってどこかが痛いといっても、その時点で因果関係が分からなくなるから、事故からあまり時間のたっていないときに調べておく必要があるのです。

 原付に乗っていて、後ろから自動車が迫ってきたら、とりあえず路肩にバイクを止めてやり過ごしてください。追い抜かれるのがイヤなら250ccかそれ以上の排気量のバイクに乗って、風を切って走ってください。人それぞれ、いろんな事情があって車のスピードを調節して走っています。自分が30kmで走りたいからといって、後続車両に30kmを強制するのはあまり感心できません。そういう場合には道を譲るというのがエチケットですね。

 スピードを緩めると、二輪車は不安定になります。ですから、車に追い越してもらおうというときにはスピードを落とすのではなく、停車すること。これが安全に走る基本です。そして怪我を避けてください。怪我をすると痛いし、時には体の機能が完全には戻らない事だってありえます。そしてその後検査や何かで時間をとられるし、時として警察に走行中のことなど訊かれて多少むっとする事だって無いとは限りません。痛い思いをして損をする、その後でまた不愉快な思いをする、事故を起こすとろくなことは無いのです。

2014年8月21日木曜日

ダーウィンと現代の農業


 ダーウィンと言う人が『種の起源』を世に問うてから150年以上経っています。150年前と言えばわが国では井伊直弼氏が暗殺された頃ですね。強固な身分制の中で足掻いていたわが国の学問と、新興ブルジョワジーによって自由に議論されるようになった彼の国の学問の違いを見てしまいます。『種の起源』からは、自由競争、適者生存、弱肉強食などの言葉を思い浮かべることが多いと思います。

 読んでみれば分かるのですが、『種の起源』は決して動物が血で血を洗う闘争の歴史を描いているわけではありません。むしろ後にわが国の今西錦司氏などによってポピュラーになった『棲み分け』のほうがその実情を正確に反映しているようにも思えます。今西らが用いる『棲み分け』は生態学で使われていた『棲み分け』とは少し意味が異なりますが、その辺は枝葉末節になるのでカット。

 その適者生存ー棲み分けを分かりやすい例を挙げて説明してみましょう。今西らが取り上げた例で彼らの学説を説明するのに好んで取り上げられるのは陽炎に関するもので、次のような観察事実が出発点になっています。
「カゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしている。具体的には
●流れが遅く砂が溜まった処に生息する種は砂に潜れるような尖った頭をしている。
●流れのあるところに生息する種は、泳ぐことに適した流線型の体をしている。
●流れの速いところに生息する種は、水流に耐えられるように平たい体をしている。
このようにそれぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成される」

 もっと分かりやすい例を挙げてみましょう。わが浜坂病院の東側、小児科外来の外に美しい芝生が広がっています。いかにも気持ちよさそうで、手入れが行き届いていると思いますが、どうしてこの芝生に雑草が生えてこないのか。たいていの雑草は芝よりも自然状態では強い。だから雑草のほうが生存競争に勝ち残るはずです。ところが、定められた区画に芝を植えた場合、その区画には定期的な『芝刈り』と言う生存への圧力が加わります。この苅込には芝のほうがほかの雑草よりも強い。だからほかの雑草たちはそうした生育環境で芝に負けてしまうのです。

 さまざまな養殖や特定の作物を育てる場合、その目的の作物や魚介類以外にとって不利になるような環境を作ってやる。そういったやり方はいろんなところで実行されており、農薬を高濃度にまくよりもずっと健康的な食料を得ることが出来ます。有機リン系の農薬で病害虫を駆除したお米と、合鴨農法で病害虫を駆除したお米と、皆さんはどちらを食べたいでしょうか。この合鴨農法も広い意味で雑草や病害虫に対する環境の圧力と捉えれば、その理論的な基礎はダーウィンによってもたらされた物です。

 まだ、秋の夜長と言うには気が早いようにも思いますが、時には『種の起源』など、古典中の古典を紐解いてみるのも良いのでは無いでしょうか。ただし、古典といってもニュートンの『プリンキピア』はお奨めできません。微積分学の専門的知識が必要となるからです。


2014年8月14日木曜日

腰痛や肩こりなど、痛みの悪循環

  体のあちこちにある痛覚のセンサーに刺戟が加わると、そのセンサーから神経を介して脳に痛みの情報が伝えられます。痛みは体の各部位に配置されたセンサーへの刺激の結果引き起こされるものです。それにどこか局所の痛みが発生すると、その部位の細い動脈が収縮して血行不良を引き起こし、組織が酸素不足になり、嫌気性代謝産物(若い頃など急な運動のあとの筋肉痛の原因になった物質=乳酸)が蓄積します。それがまた痛みの原因になるのです。

 そうなると、痛みの本来の原因が無くなっても、新たな原因で痛みが持続することがあります。痛みがいつまで経っても消えない。そういう痛みの場合、痛みの一番ひどいところに局所麻酔薬を注射することで一時的に痛みを消してしまえば、その間に血管が開き、その近傍の血流が再開し、嫌気性の代謝産物を洗い流すので、痛みが嘘の様に消えると言う事が時々見られます。痛みの大元の原因が残存する場合でも、本来の痛みだけになります。

 腰痛の場合は腰の周りの筋肉を鍛えて『筋肉のコルセット』を作り上げましょう。これは市販品のコルセットのように取り外しすることは出来ませんが、常にあなたの腰を守ってくれます。まだ腰椎の圧迫骨折が生じていなければ、この腰痛体操は有効です。腰痛などでお悩みの方は当院麻酔科を受診してください。腰痛体操による『筋肉コルセット』の鍛え方なども私が実演してご伝授いたします。

 先に述べた局所麻酔薬の注射は筋肉を覆う筋膜の直下に行うのがミソです。どこが筋膜か、微妙な手ごたえで分かるのです。すると少量の薬剤が広範囲に広がりますので効きがよい、無神経にその辺に注射針を刺して、薬剤を注入しても期待したほどの効果が見られません。誰がやっても同じような効果が出ると言う手技ではないので、トリガーポイント注射には手技に伴う結果の違いが出るのです。



2014年8月8日金曜日

アルジャーノンに花束を:ダニエル・キース


 医学を扱った小説をご紹介したついでに、もうひとつ小説をご紹介しておきましょう。ダニエル・キースという人の書いた『アルジャーノンに花束を』という作品で、SFに分類されています。確かにSFとしての要素を持っていますが、私は介護とか老化と言った問題に焦点を当てた小説として読み解くことができるのではないかと思っています。小説の大まかなプロットは次のようなものです。

 ある町にチャーリーという知恵遅れの青年がいた。知能指数が60前後で、当然自立した生活など出来ない。町のパン屋で簡単な仕事をしてみんなをほのぼのとした気分にさせながら暮らしていた。あるとき、野心的な脳外科医が、ある手術をすることで知能を大幅に伸ばすことができるが受けてみないか、とチャーリーに持ちかける。賢くなることに強い憧れを持っていたチャーリーはその手術を受けてみることにした。

 知能指数を60に押しとどめていた枷が外れ、チャーリーはどんどん知識を吸収して天才になっていく。その脳外科医師がチャーリーを使って人体実験をしたのだが、その前に行った動物実験でネズミが高度な知能を有していた。そのネズミにはアルジャーノンという名前がつけられていた。そのアルジャーノンが時々妙な動きを見せるようになった。どうやら実験によって操作された脳内に何らかの問題が生じて、実験の副作用として不可避的にたどるコースだと思われた。

 破局を回避するためにさまざまな試みがなされるが、万策尽きて彼は自分の未来を知る。将来自分が入るはずの介護施設を見学し、自分の出自を探り、下降線をたどり始めた自分の能力をわずかでも保つために難解な書物を読みふけり、さまざまな足掻きを見せる。しかし破局は目前に迫ってくる…とまあ、そんな小説です。現実にありえない脳内操作によって知能に制限を加えていた枷を取り除き、知能を飛躍的に伸ばす、という発想はSF的です。

 いろんな視点で読むことができますが、ここではちょっと変わった読み方をしてみましょう。幼い頃に成長とともに知的能力が伸び、やがて一定の時間の後に知的に退行する、その流れを普通我々は幼児期から老衰へと80年から90年かけて経験します。その期間をこの小説では数年のタイムスパンの中に押し込めている。この小説の中で、やがて自分が入所するであろう介護施設を見学に行くシーンがあるけど、私の友人の中に実際自分の入る老人ホームを見学に行って、それから契約した者がいます。

 老化は数十年のスパンで起きるし誰でも似たような経験をするので、歳を取る過程でそれほど焦らないけど、例えば若年性認知症だったらどうでしょうか。その様な問題を極端に圧縮して、当事者たちの姿を描いたのが本作です。この本の著者は少し前に亡くなりましたが、この作品は時代を超えて生き残っていくことでしょう。