2014年11月21日金曜日

心房細動と脳梗塞予防

 人間、年をとるとかなりの確率で心房細動を引き起こします。この心房細動はそれ自体が厄介な病気です。心房が正常に働いていると、心室の拡張末期に心房収縮の一蹴りで心室に送られる血液が20%ほど増えます。この言い方は誤解を招くかもしれません。心房収縮が無いと、心室に送られる血液が20%減ると言ったほうが良いかもしれません。いずれにしても、心房の正常な収縮と弛緩がリズミカルに行われないと、心臓の機能が低下します。

  そして、心房細動を起こす人はそれ以前に何らかの心臓関連の問題を抱えているので、先に述べた20%の低下が重大な意味を持つのです。大まかに言って、一回の収縮で心臓から送られる血液の量はその人の体重の0.1%ほどです。つまり体重60kgの人の1回拍出量は60mlほどです。そして、毎分70回脈を打っているとすれば、60x70=4200mlの血液が心臓から出て行くことになります。これは勿論安静時の話です。

  余談ですが、合衆国では銃撃戦のとき、FBIの捜査官は左手を握り締めてそのこぶしを時分の心臓の正面に持っていくと言う話を聞いたことがあります。敵の銃弾がこぶしに当たると心臓まで達しないことが多く、致命傷を避けることができ、こぶしの大きさが心臓の大きさに近いと言うのがその理由です。実際の銃撃戦を見たわけではないので、事の真偽は明らかでないのですが、銃弾の飛び交う世界が日常と言う国ではずいぶん説得力のある話です。

 話を元に戻すと、心房細動などで、心臓から送られる血液が減ると、そういった人はたいてい心不全になります。そして心房細動からかなり短期間のうちに死亡してしまう人がかなりの割合になるそうです。そしてもし初期の死亡リスクを乗り越えたとしても、次のリスクが待っています。正常に機能しなくなった心房に血栓が形成されるのです。左心房に血栓が形成されると、それが遊離して脳に飛んだ場合に、かなり大規模な脳梗塞を起こす恐れがあります。

 治療法としては、古くからおなじみのワーファリンと言うお薬があるのですが、これは血を固まらせにくくするお薬です。ですから当然、脳内の血管に一部小さな裂け目などが生じたときにそこから通常だとちろちろ出血してそれがすぐ止まるのに、ワーファリンを飲んでいる人では止まらないということがよく起こります。つまりワーファリンを飲むと脳梗塞のリスクは減りますが、脳出血のリスクが増えるのです。

 勿論、梗塞のリスク低下分は出血のリスク上昇分より遥かに大きいので、損得勘定からするとワーファリンを飲んだほうがいい。しかし我々医師も普通の感情を持った人間です。外来に心房細動を起こした人がやってきた、何も治療されていない、そういったときにワーファリンを開始したほうがいいと分かっていても、自分の指示でワーファリンを開始したときに出血が起こったらどうしよう、そう考えてしまいます。

 勿論冷静に考えれば、ワーファリンを開始すべきだし、自分の身内に対してだったら開始すると思います。しかし、特に年齢がかなり高くなると、出血のリスクも高くなるので、自分の処方によって脳出血で帰らぬ人になってしまう可能性が具体的な恐れとなってしまうのです。最近はワーファリンより遥かに安全な抗凝固薬が利用可能になりましたが、それでも高齢者に使うにはためらわれるのです。勿論使ったほうが使わないよりも遥かにメリットは大きいのですが。

 医療行為というのは、どんなものでも必ずリスクが付きまといます。そのリスクは自分が懸命に診ている患者さんが負う。私たちはそのリスクを負わせたくない。だから難しいのです。

2014年11月14日金曜日

コーヒーを飲む人は顔のしみが少ない


 医療従事者を対象としたSNSやWebsiteのようなものがいくつかあり、その中で時々医療と関係ない方にもたぶんとても興味深いだろうという情報があります。今回ご紹介するのはそのようなものの一つで紹介されていた、お年を召してくると気になる顔のシミについてです。ここに出てくるポリフェノールとは、コーヒーや赤ワインに含まれているもので、抗酸化作用を持つ物質の一つです。酸化とは一言でいえば『錆』の事、ポリフェノールは体内の錆を防ぐ大切な物質です。その情報源の中身をご紹介しましょう。

 日本人中年女性131名を対象とした検討の結果、コーヒーおよびポリフェノール摂取量が多い人ほど顔のシミが少ないことが明らかにされた。ネスレ日本の福島洋一氏らが報告したもので、「コーヒーは、日焼けによる皮膚の老化の予防に役立ち、クロロゲン酸を含むポリフェノールにはシミにみられる色素過剰を減じる可能性があると思われる」とまとめている。International Journal of Dermatology誌オンライン版2014年7月11日号の掲載報告。



 研究グループは、健康な日本人中年女性のコーヒーおよびポリフェノール摂取の皮膚への影響を調べるため、食事、環境要因、皮膚の状態について断面調査を行った。各被験者の頬で、皮膚の含水量、経表皮水分蒸散量および弾力性を非侵襲的方法(=体に危害を加えない方法)で測定し、デジタル写真を用いてしわとシミの評価を行った。



・試験には、健康な非喫煙で、日常生活における日光への曝露は中程度の30~60歳女性131名が参加した。アンケートにより食事、飲料摂取、生活状況を調べた。

・コーヒーと総ポリフェノール(全ソースおよびコーヒーから)の摂取量は、シミの評価スコアの低下傾向と統計的に有意な相関を示した

・コーヒーまたはクロロゲン酸からの総ポリフェノール摂取量が高値である被験者(三分位最高位群)は、紫外線によるシミの評価スコアが最も低かった

・以上のように日本人中年女性において、コーヒーおよびポリフェノール摂取は顔のシミと関連していた。



 さて、以上ご紹介したように、コーヒーは美容に良いと考えていいでしょう。しかし過ぎたるは及ばざるがごとし。バルザックと言う小説家は毎日50 杯以上の濃いコーヒーを飲む習慣を持っていましたが、51歳で亡くなりました。朝起きるとコーヒーを牛飲し、夜遅く執筆、そして疲れを押して社交界に出入りし、馬食したということです。



 晩年(と言うほど高齢にはなりませんでしたが)、その大喰らいのために糖尿病になり、失明、そして腹膜炎で死亡しました。いくらコーヒーがお肌に良いと言っても、そんな生活をまねてはいけません。虎は死して皮を残す。バルザックは死して小説を残しましたが、膨大な借金も残しました。やはり真似てはいけません。



 余分なことかもしれませんが、付け加えておきます。この研究を行った人がネスレ・ジャパンの社員だとの事、ネスレ社は本邦において《違いが分る男の》インスタント・コーヒーを販売しています。その会社の社員がコーヒーは体にいいよという研究論文を発表したのですから、その結果について多少のバイアスがかかっていたと見るほうが妥当かもしれません。理論的に考えて妥当性のある結果ですので、疑ってかかるのは若干神経症的な態度かもしれませんが、研究を公明正大にしようと思うと、そんなところも引っかかってくるのです。



2014年11月6日木曜日

朝は王様のように


 いきなりですが、ひとつお聞きしたい。どんな食生活を送っていますか?最近話題になっているのは糖質制限食と地中海食です。糖質制限食というのは食事から炭水化物を減らそうというもので、1130g程度に制限すると効果が出るようです。このことについては一月ほど前のブログで取り上げています。太り気味の方はぜひ実行してみてください。今回はもうひとつの地中海式ダイエットについて取り上げてみたいと思います。

 地中海式ダイエットとは、簡単に言うと地中海に住む人たちの食生活を取り入れるということです。ナッツや野菜にオリーブ油をメインにしたドレッシングをかけて食べる。魚の調理にふんだんにオリーブ油を使う。毎日食べるのは全粒粉の穀類を調理したもの(全粒粉のパン、玄米、全粒粉パスタ)、イモ類など、フルーツ、野菜、豆類、オリーブ油、チーズ、ヨーグルト。週に一度程度食べるものが魚、鶏肉、卵、デザート。赤身の肉は月に一度、アルコール性飲料は赤ワインを週に2,3回程度。いろんな大規模調査で、この食事法が健康にいいと分かってきています。

 そして、こうした食事の一番豊かなものを朝にもって行きます。ヨーロッパの健康に関する民間伝承には『朝は王様のように、昼は普通の人のように、そして夜はこじきのように』食事を組み立てるのがよろしいということが囁かれています。多くの人は、仕事から解放された夜にご馳走を食べたいし、ちょっとアルコールなどを摂取して多少自制心のたがをはずしたいと思っています。そしてそれは健康にとってあまり感心できないことです。

 起床時刻を1時間早めて、ゆっくりリッチな朝食をとる、そして一日の行動の予定などをチェックし、朝の貴重な時間をゆったり過す。そういうのはどうでしょうか。そのためには就寝時刻を一時間早めないといけません。言うは易し、行うは難しと言いますが、私はその半分ほど実行しています。私の朝食の写真をご披露しましょう。右上の写真はちょっと出来損なったフレンチトーストです。私は単身赴任で自炊していますが、この程度の朝食をそろえるために45分もあれば充分です。



 朝は王様のような食事を、と言いましたが、ある友人に『王様は夜遅くまで贅沢三昧で胃袋が疲れているので、朝食をとらない』などと突っ込まれました。確かにそれも一理ある…物事には必ず裏があると言うことの実例でした…?


2014年10月30日木曜日

歩行と膝関節症


 人は2足歩行します。4速歩行の際に、地面から離れている足が常時2本なのか3本なのか、あるいは1本なのか、そのあたりの事情は知りません。孫を背中に乗せてお馬さんごっこなどやってみても、動物の4速歩行とは似ても似つかぬ歩行形態ですので、参考になりません。二足歩行の際は、常にバランスを崩しながら立て直すということをやっています。どちらの足が接地しているときも体の重心は足の内側にあり、そのために膝関節の内側に余計に体重がかかります。

 ですから長いこと歩いていると、膝関節の内側が余分に磨り減って俗に言うO脚になります。そしてO脚になるとよけいに内側に荷重がかかり、そのために関節の内側の軟骨面が磨り減りやすくなるのです。そして関節軟骨がほぼなくなってしまうと、ひざの屈伸のたびに激痛が襲う…それへの対抗手段として、膝の関節内にヒアルロン酸を注入するという治療法があります。ヒアルロン酸は潤滑油であると同時に抗炎症作用という性質を併せ持っています。

 従って、関節包内で骨質がこすれて起こる炎症を鎮めますので、関節軟骨磨耗の初期にはある程度効きますが、完全に磨り減ってしまうと、その効果もかなり限定的になってしまいます。ではどうすればいいか。こういった変形による不都合はそれが起こってから病院で対症療法をするよりも、起こらないように工夫することのほうが快適に過ごすことが出来ますし、たいていお金もかからない。起こらないような工夫を以下に述べます。

 歩行は先に述べたように片方の足を前に出すときにバランスを崩しながら動的にバランスを保っているので、その一歩一歩を出来るだけO脚にならないようにする。女性だったらモンロー・ウォークなどという言葉でおなじみでしょう。一本の白線の上に足を交互において歩く。その際交互に足を出すときに両膝がこすれあうようにする、その心がけだけで、O脚になるのをずいぶん遅らせることが出来るはずです。

 男の子は中学生くらいの年頃のときに、妙にいきがって足を逆ハの字にしてO脚で歩いたりしている人がいますが、将来の変形性膝関節症予備軍かと思うと、ため息が出てきます。人工関節にかかる実費は片方で100万円をくだらないのです。高齢者だと、一割負担だから10万円の出費で済みますが、いろんな制限が出てきますし、残りの90万円は保険のほうからの負担で、これも人工関節の部品を作っている会社は潤いますが、全体としては国が潤うものではありません。それより、モンローウォークでいつまでも背筋を伸ばして元気に歩いているほうが何層倍もいい気分でいられる、そう思いませんか。


2014年10月23日木曜日

コレステロールの話


 コレステロールはステロイドという物質群のひとつで、体内の細胞膜を構成する、ステロイドホルモンの主要構成因子になるなどの重要な働きをしていますので、コレステロールを忌避するという態度は感心しません。巷では善玉コレステロールと悪玉コレステロールについて云々されていて、善玉を上げ、悪玉を下げるにはどうしたらよいかと質問されることも時々あります。今回はそのコレステロールについて考えていって見ましょう。

 ウィキペディアによりますと、『いわゆる「善玉/悪玉コレステロール」と呼ばれる物は、コレステロールが血管中を輸送される際のコレステロールとリポタンパク質が作る複合体を示し、コレステロール分子自体を指すものではない。善玉と悪玉の違いは複合体を作るリポタンパク質の違いであり、これにより血管内での振る舞いが変わることに由来する。これらのコレステロールを原料とする複合体分子が血液の状態を計る血液検査の指標となっている。』とあります。

 このコレステロールは食事から摂取されるものではなく、体の中で合成されます。これはデンプン質や塩分などと大きく違うところです。デンプン質は個別に吸収された炭素とか水素などが体内で合成されてブドウ糖などに変化するわけではないのですが、コレステロールは吸収された構成要素が体内で合成されて出来上がるのです。そして血漿中のリポ蛋白にくっついて体のあちこちに運ばれます。約3割ほどが脳神経系に分布していると聞いたことがあります。

 このコレステロール、善玉とか悪玉といわれているのですが、この善玉・悪玉を分けているのはコレステロールではなく、血漿中のリポ蛋白です。コレステロールとくっついているリポ蛋白の性状の違いで血管内でのコレステロールの挙動が違ってくるのです。それにデンプンや脂肪と異なり、コレステロールには貯蔵庫がありません。ですから余剰コレステロールは問題になりやすいとも言えるのです。

○○を食べる(飲む)とcholesterolを下げることが出来る、などという風評はかなり一般的です。例えばリノール酸を摂取すると悪玉コレステロールが下がるといわれていました。リノール酸はサフラワー油とかコーン油に多く含まれています。だからといってサフラワー油をごくごく飲み込んだらどうなるか、多分下痢になって体外に排出されることになるでしょう。それに近年の研究でリノール酸に上記のような効果はなさそうだとも言われています。

 中性脂肪が上ると悪玉コレステロールも一定の割合で上ります。しかし常識的な食生活をしている限り、それほどひどいことが起こるとは考えられません。常識的な食生活とはすべての食事をジャンクフードで済ませるとか、お酒と少量のつまみだけで過すといった極端な食生活を避けるということです。その地域で昔から取れている野菜、海草、肉と魚を極端に濃い味付けを避けてよく噛んで美味しく頂く、そして体を動かし、時々日の光を浴びて生活していくことが一番いいのではないでしょうか。体の一部が極端に老化するのではなく、全体が同じようなペースで老化していく、これが理想です。

2014年10月16日木曜日

早く歩くと長生きするか?


3年ほど前にメディカル・トリビューンという医学系雑誌で『高齢者の歩行速度と生存期間が関連』という記事を読んだことがあります。高齢者のケアなどの計画を立てるために、余命について予測することで、より効果的な対応が可能になるとの立場から、Studenski博士らが歩行速度と余命についてメタデータの解析を実施したというもの。居酒屋での雑談だったか、食事中だったかに友人にこの研究のことをしゃべったことがあります。

 それを聞いて、一人が『じゃあ、早く歩くようにしなくちゃ』と応じたのです。そのとき私は別段反論をしませんでした。しかし、その速歩氏は統計結果について、因果関係と前後関係、相関関係について重大な思い違いをしているなと思ったものです。例えば身長と体重で考えて見ましょう。一般的にいって身長の高い人は体重も重い。もちろん長身の割りに軽量級の人もいますし、逆に背が低いのに重量級という人もいます。しかし1000人ほど無作為に集めて、身長と体重をX-Y平面にプロットすると、まず間違い無しに正の相関を示します。しかし誰も身長を伸ばすために体重を増やそうとは考えない…

 歩行速度と余命についても、この調査結果は『早く歩くことが寿命を延ばす』といっている訳ではないのです。観察結果として、通常歩行の速度を測定すると、その時はやく歩いている人のほうが長生きという結果を観察したというもので、速歩によって長生きできるというものではありません。もっと有り体に言えば、高齢になっても早く歩ける人は多くの場合、とても元気だから長生きしているということであって、速歩によって心血管系が鍛えられて、長期間いろんな臓器がちゃんと働くようになるというような理屈を述べているわけではありません。

 この世の中には、単なる相関関係と因果関係が分かり難いものが多くあります。中には、両者を取り違えるように誘導するようなものもあります。気をつけましょう。誰かが何かを主張するとき、その背後に何か隠れていないか、それを見る眼を養っておくことはさまざまな局面で正しい選択をするときに必要なことだと思うのです。


2014年10月10日金曜日

病人と医療の関係


 私たち医療従事者は基本的に西洋風の医療の知識を教えられてきました。その西洋風の医療についての知識や考え方も、実は最近今日の考え方の基礎が出来上がってきたのです。それまではどちらかというとウィッチドクターというか、現在の我々の眼から見るとかなり奇異な、そして一般的な了解の得られないような見方をしていました。現代にも残る『悪液質』という呼び方にその当時の病に関する人間の捉え方というか、生命観が現れています。

 むかし、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4種類を人間の基本体液だと考えられていました。そして人間の身体には数種類の体液があり、その調和によって身体と精神の健康が保たれ、バランスが崩れると病気になるとする考え方(体液病理説)一般的で、古代インドやギリシャで唱えられたそうです。インドからギリシャに伝わったとも言われています。この考え方は、病理解剖学が現れる19世紀あたりまで一般的でした。悪液質という呼び名も、この体液病理説に沿ったネーミングです。

 病理解剖によって、人体の組織と疾患が対応付けられるようになると体液病理説は姿を消していきましたが、その代わり、病における症状は病の本質を表すものと偶発的なものとに分けられるようになっていきます。例えば、上気道感染における体温上昇はその感染症の本質的な部分ですが、その熱の上り方の個体差は偶発的なものとされます。そして病を理解するためには個体差にあたる部分を出来るだけ切り離して、本質的なところだけを見るようにするという姿勢が一貫してとられる様になります。

 つまり、我々が正確に診断するために持つべき『まなざし』は、個々の病からその本質を抽出するべきであり、一人ひとりの病気の具体的な症状にとらわれるべきではない、とされるようになりました。診察室でのさまざまな検査や問診などは、従って、出来るだけ一人ひとりの生活史と無関係に、没個性的に行うのがいいという風潮が出来上がっていったのです。そのことが『病院で人間扱いしてくれない』という不満が出ることにも繋がっていきます。

 診断は無機的、没個性的、非人情にというのが大まかに言って近代以降の臨床医学の要求だったのです。最近、認知症など、人間の心を扱う分野では、没個性的に、機械的に、客観的学問の装いを前面に出して、というのが間違いではないかといわれ始めています。それがユマニチュードという言葉とともにフランスから取り入れられようとしています。これについてはまたこのブログで取り上げることもあると思います。